0003.黄色い帽子のおじさんに学ぶこと

 

不定期更新をいいことに書きたいとき+書けるときのみ思いを連ねる内容となります。

 

先週は月~金で出張

今週は日~水で出張

となかなか嫁様、子どもたちに会えず今日は出発前に寂しさで嫁様と娘に泣かれました、きつい

 

よそ様の仕事事情や家庭事情は存じ上げないですが私はなぜか嫁様に知り合ってから13年程度、強い好意を抱いてくれており身に余る幸せです

(唐突な惚気申し訳ありません)

子ども達は親を見て育つのは言わずもがな、日本の古き体質上父親が外で働く以上母親が子ども達に接する時間が長くなるため、母親が父親に表す態度や言葉で父親に対する印象が変わるのかな、と感じています。

 

自身の話に移りますが、私は娘息子に接する際気付いてから教訓として意識していることがあります。

 

唐突ですが皆様おさるのジョージをご存じでしょうか

私も子どもが生まれてからTV等できちんと見る機会があったのですが

 

黄色い帽子のおじさん(ジョージの一番のお友達)のジョージに対する懐の深さに衝撃を受けたお話をさせていただきたいと思います。

 

結論を先にお伝えすると

黄色い帽子のおじさんはジョージの行動を否定しない、一瞬呆れたり驚くシーンこそあれど瞬間で切り替えて良い所を探し次の行動につなげる

 

を徹底していました(すべての話を見たわけではないのですが…)

 

私が見た範囲では黄色い帽子のおじさんがジョージに向ける愛情は親が子どもに見せるそれと同じであり

子どもが何も知らない中で自分の感情から素直に行動した内容を親が即座に否定するのは

危険を感じた際反射的に出る行動を除くと子どもの感受性を阻害する可能性が高い、と感じています。

 

私自身昔から子ども(乳幼児)と接するのが好き(会話や表情で余計な詮索をしないで良いのが一番の理由)であり、高じて大学は幼児教育専攻となりました(現在の仕事は電気通信の施工管理なので何も活きてはいませんがその話は別の機会に)

 

私の家庭の話ですが母親と異なり父親は母親と比べ接する時間は少ない=同じ空間を共有する時間の中で子ども自身が感じた感情+母親から感じる父親像→父親、となっており

 

子ども達と過ごせる時間の中でいかに自分が子ども達に愛情をもって接しているかを気付いてもらうため私は否定をしない、をモットーにしています。

 

その中で黄色い帽子のおじさんは私の思う親像の理想の一つかなと思う

 

 

という話です

 

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